7.結婚式!

 イランに着いた翌日に、もうじき近所の娘さんの結婚披露宴があるのだけど出席したい?とニマさんにきかれた。そりゃもう。そんな機会はどう考えてもめったにない。式の日がちょうど学会が終わってセムナンからカラジにもどってくる日、僕らがイランを発つ前日にあたっていた。
 学会の閉会式をパスして少し早めにセムナンを発ったが、テヘラン付近の渋滞もあり、カラジに着いたのは8時頃だった。それから着替えをする。僕の配偶者は、持ってきた普段着が今度は地味すぎるとダメだしをされ、また服を借りることになった。ニマさんのお母さんも明らかによそ行きの服をきている。一方男性の方は、結婚式ではネクタイ着用なのだという。2の「イスラムの服装」の項で書いたように、ネクタイは反イスラムと考えられていて、実際学会でもイラン人は誰一人としてネクタイはしていなかった。けれどもなぜか結婚式だけはネクタイをするという。なぜ?とたずねたが答えはなかった。面白いことに、というか考えてみれば当然でもあるが、ニマさんはネクタイの締め方をよく知らず、僕が結んであげた。イラン人にネクタイを結んであげるという体験をした日本人はあまりいないんじゃないかな。僕は幸いネクタイを一本荷物に入れてきたので、学会では使わなかったけど、学会が終わってから使うことになった。もしあらかじめガイドブックをちゃんと読んでネクタイを持ってきていなかったら、ニマさんから借りることになっただろう。ニマさんが二本持っていたとしてだが。

 身支度ができて、自動車に乗り込んで出発。式場までは30分ほどかかるという。イランの結婚披露宴はたいてい200人以上の参加者があるそうで、ニマさんは、あの学会より大きい、と言っていた。近所の娘さんが結婚するお相手は大学で知り合った男性で、その父親は商売をやって成功し大金持ちなのだとか。二人とも23歳。イランでは恋愛結婚の方が多いそうだ。男女の接触が制限されているのに少し不思議ではある。なお一夫多妻は認められているが、実際には二人以上の妻を持つ男性はごく少数とのこと。

 カラジは大きな街ではないから、10分も走れば郊外へ出る。車はテヘランの方へ向かうのではなく、山の中?へ行きそうな道をたどっていく。予定の30分がすぎたころには、あたりは真っ暗で建物はなく、街灯もほとんどなく、道も細くでこぼこになってきた。ニマさんも今回の式場には行ったことがないそうで、招待状に書かれている簡単な地図を見ながら、道を間違えかけてバックで戻る、なんてこともしつつ、車を進めていく。あまりにあたりに何もないので、これはたぶん道を大きく間違えたな、とあのときは思った。
 突然、車は門の前に止まった。門の高さは2メートル以上はあり、中の様子をうかがうことはできない。外に立っている門番にニマさんが招待状を手渡すと、門番はそれを受け取りちゃんとチェックしてから門を開けてくれた。ギィーッ。門が開き車が入っていく。秘密結社のアジトに来たような雰囲気を感じた。(実際その感覚は大きな間違いではなかった)式場は平屋の、簡単そうなつくりの建物だった。敷地は高い塀に囲まれていて、どう見てもまわりに建物はいっさいない。ニマさんは玄関近くに車を止め、僕らは中に入った。

 中は普通のパーティー会場だった。ここがイランでなかったら、その一言で終わることもできる。しかしここはイランだ。それなのに、女性は華やか、というよりは派手なドレスを着て踊っている。スカーフなんてしていない。うなじ、どころではない肩(あるいは胸元)をあらわにしている女性もいれば、超ミニスカートの女性もいる! 広い会場の(たしかに二百人ぐらいは入りそうな会場の)一角、四分の一ぐらいのスペースが踊りのスペースで、そこではバンドがテンポのよい曲を演奏し、出席者の男女が入り乱れて踊る。音楽の大半はイランの音楽とのこと。踊りは社交ダンスのような、フォークダンスのような。白いウエディングドレスの花嫁さんも大胆に踊っている。(花婿さんも踊っていたんだろうけど、影が薄かった)

 僕らは空いている席を見つけて腰かけた。テーブルには果物やスナックがおかれていて、温かい紅茶も運ばれてきた。でも僕の視線はとりあえず踊っている女性たちに釘付けだった。(なんというか、興味深くて)
 ニマさんによれば、ここで女性たちが着ているような服も普通に街で売られているのだという。取り締まろうにも取り締まることができないのだと。考えてみれば、どんなミニスカートであっても、それがただちにイスラムの法に反するわけではない。男性のいないところで、女性だけの集まりの場で身につけるならばイスラム的には何の問題もないからだ。
 実際、結婚式の披露宴も男女に別れて催されることの方が多いのだそうだ。新郎を含む男性陣と、新婦を含む女性陣に別れ、別々の部屋でパーティーをする。両者のあいだに人の行き来はない。僕らの感覚では非常に奇妙だがイスラムではむしろこれが一般的で、ニマさんの結婚式もそうだったという。またニマさんがこれまで出席した友人や親戚の結婚式もほとんどが男女別々方式で、こういう男女がいっしょの結婚式は小さな子どもの時に一度だけ経験して以来なのだと言っていた。

 ちなみに、この式のあいだニマさんは目が点になっていた。それはそうなるだろう。ニマさんが子どものころにあんな衣装はなかったかもしれないし、仮にあったとしても、ああいう姿の女性を小さな子供の時に見るのと大人になってから見るのではぜんぜん意味が違う。ニマさんにとっては、あんな姿の女性を見るのは、実質、初体験だったのだろう。
「イランの女性は世界で一番美しいと言われている」
とニマさんは僕に言った。僕は「I agree with you」と、心から、答えました。
 ただ、このとき女性のすべてが派手な格好をしていたわけではない。ニマさんの奥さんはいつもと同じく黒い服を着てスカーフをかぶっていた。僕の配偶者が、踊らないの?、ときいたところ、男性がいる場所では踊らない、と答えたそうだ。他にも、圧倒的少数派だったけど、普段のイスラムの格好のままの女性はいて、その人たちはやはり踊ってはいなかった。


披露宴ディナーのメインディッシュ。子羊がまるごと

 十時過ぎになって夕食が振る舞われた。別の小さな部屋にバッフェ形式で料理が用意されていて、大混雑の中、立ったままいただいた。メインは子羊の丸焼きで、内蔵のあった部分にはライスが詰められていた。その他肉料理色々。タンシチューのようなものもあった。イランではお祭りなどで子羊の脳味噌を食べると聞いていたのだが、このときは誰も脳には手をつけず、僕も興味はあったが自分で頭蓋骨を割ることはとてもできなかったので、食べるチャンスを逸してしまった。

 食事はおいしかったが、僕らの感覚だと足りないものがある。飲み物がジュースやコーラの類ではどうも。(ちなみに、イランのコーラはコカコーラやペプシコーラではなく、必ずイラン製である)食事のあと、ニマさんが「ドリンクを取ってきてあげよう」と言って席を立った。ドリンクとは酒類のことだ。イランでお酒が飲めるなんてものすごく貴重な体験なはずで、僕も僕の配偶者もどんなお酒が来るかとものすごく期待した。ところがニマさんは手ぶらで戻ってきて「もうなくなってしまったそうだ」と告げた。どれぐらいの量の酒類が用意されていたか知らないが、なんだ、イランにも実はけっこうお酒好きが多いんじゃないのか、と思った。

 翌日の早朝に僕らはもうテヘランからマレーシアへ向けて発つことになっていたので、深夜12時頃に僕らは引き上げた。まだまだバンドの演奏は続き、人々はますます元気に踊っていた。いつ、どうやってこのパーティーに終わりが来るのか、見当もつかなかった。

 帰りの車の中で、こんな集まりは禁止はされていないのかとニマさんたちにたずねた。あれは非合法だ、あの現場が見つかれば主催者は処罰されるだろう、という答えが返ってきた。だからあんなへんぴな場所でやる。男女別々の結婚式ならば普通に街の中の式場で行われる、自分たちの式もそうだった。
「撮った写真をネットで公開しないように」
とニマさんにくぎをさされた。だからこのページには踊っている人々の写真はなしである。(すごくいっぱい撮ったのだが)

 ニマさんの家に戻ってから、僕は日本の結婚式がどんな感じかを紹介した。そして、日本では"できちゃった結婚"がけっこうあるという話しをした。すると、ニマさんはお母さんとしばらくペルシャ語で会話を交わしてからこう言った。
「あの新婦はもう妊娠しているのではないかと母は疑っている」
 

 結局のところ、イランはよくわからない国だった。どんな国であれたった5日間の滞在でわかるわけはないのだが、それにしてもこのわからなさ加減は尋常ではない。日本に戻ってきてニュースなどで接するイランのイメージはあくまでも堅いイスラム国家なのだが、それとあの結婚披露宴の光景はとても結びつかない。建て前と本音、なのかもしれないが、でもわからない。どちらも本音なのかもしれないし、どちらも建て前なのかもしれない。そこが、本当にわからないのだ。
 とりあえず、またいつか行きます。

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