5.イランの生活風景いろいろ

 ニマさんは週末になると母親のすむカラジに戻る。そして戻った時は必ず、数年前に亡くなった父親のお墓に墓参りに行く。僕もその墓参りに同行させてもらった。墓地は市街から車で20分近くもかかる郊外にあった。イスラムでは火葬はせず、棺桶も使わない。遺体が布にくるんで埋められ、その上に文字や絵が刻まれた石板が一枚置かれる。墓地は広大で、さらに拡大の造成工事が行われていた。


カラジ近郊にある墓地

 帰りの車の中で日本の習慣を説明し、家の中にミニチュアの墓(仏壇のことのつもり)がある、というようなことを言った。するとニマさんは、それなら映画か何かで見て知っている、と言った。そういえば「おしん」がイランで大人気だったというのは有名な話だ。ニマさんは日本のプロサッカーリーグが「Jリーグ」という名であることも知っていた。イランの人はけっこう日本通だったりする。セムナン大学には空手を習っていたという先生がいて、日本語も少し知っていた。ニマさんもかって柔道を習っていたそうだ。

 大学の助教授であるニマさんの月給は1000ドルぐらいとのこと。イランの物価は日本の1/2から1/3だから、まあそんなものかなと思う。ただ給料は職業によって相当違うようだ。学会の講演の最中に、隣に座ったおじさんが話しかけてきた。その話の内容がまったくの世間話で、歳はいくつか?(45歳です)、子供は何人いる?(いません)、なんで子供を作らない?(・・・)、といった調子なのだ。変だと思ったら、学会の参加者ではなく、学会を撮影にきたテレビ局のカメラマンさんとのこと。しばらく世間話を続けた後、そのおじさんは、自分はテヘラン大学を出ているが今給料は250ドルしかない、日本で博士学位を取れないか、と言い出した。(そんな、とても難しいと思います)ただ、それにしても250ドルというのが本当だとしたら、物価の安いイランでもいくらなんでも低すぎる。どうやって生活しているんだろう。

 イランの食事は肉料理にバターと塩で軽く味付けしたご飯(お好みでさらにバターをまぜる)が基本形で、それに生野菜のサラダやヨーグルトがつく。肉はチキンかラム、たいてい焼いてある。ヨーグルトは好物なようで、塩味のヨーグルトドリンクと味をつけていないプレーンのヨーグルトの両方がついた食事もあった。こんな食事を昼、夜、昼、夜と食べて滞在中に若干太ったが、夜は普段はもっと軽く済ませるらしい。朝はコンチネンタルブレックファースト。ニマさんの家では焼き菓子っぽいイラン独特のパンを出していただいたが、バターの類を何もつけなくてもたいへん美味しかった。

 部屋の中は、ニマさんのお母さんのアパートもレザゴリファー先生のお宅(これも集合住宅)も、とてもきれいだった。床のじゅうたん、壁にかけられた装飾品、そしてテーブルの上に置かれた果物まで、ちゃんと全体の調和を考えて選ばれ、配置されているように感じた。イランの人は半ば無意識のうちになんでも美しくデザインしてしまうのかもしれない。驚いたのは学会のポスターで、これを見て学会のポスターだと思う日本人は絶対に一人もいないと思う。あまりにこったデザインゆえ、パッと見どこに文字があるかよくわからないぐらいで、情報を伝えるという機能はどうかなとは思うのだが、一枚いただいて持ち帰る価値は十二分にある。ペルシャ文明から続く芸術的なセンスが今も息づいているのかと、あまり根拠なく思った。

 ところがそのわりに都市の景観は美しくない。一つひとつの建物もデザインに気を使っているとは思えないし、美的な観点からの都市計画があるとも思えない。テーブルの上に果物を置く時でさえ美的センスを発揮してしまう人たちがなんでなんだろう。汚いといえば、テヘランは空気が汚い。ガソリンは日本の十分の一ぐらいと極端に安いので自動車を使い過ぎているようだ。テヘランが美しい都市に生まれ変わる日がいつかくるのかどうか。

学会のポスター

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