「Riot」, Shashi Tharoor, 2001年

 舞台は、インド北部Uttar Pradesh州にある人口10万人の小都市Zalilgarh。ヒンズー至上主義者によれば、そこはかってヒンズー教の聖地であり寺院があったが、イスラム教徒がそれを壊し代わりにイスラムの寺院を建てた。そのイスラム寺院を壊しヒンズー寺院を再建する運動がヒンズー至上主義者によって組織され、反発するイスラム教徒とのあいだで対立が深まる。1989年9月30日、ヒンズー教徒による大規模な行進が行われ、それに対してイスラム側が爆弾を投げ、双方に死者が出る暴動に発展する。  その日の夜、郊外で24歳のアメリカ人女性が刺殺される。場所は、人気のない、使われなくなった昔の要塞。彼女は大学生で、研究の一環でインドに10ヶ月滞在し、産児制限を勧めるNPOの活動をしていた。彼女の父親はコカコーラ社に勤務していて、十数年前、インドへの進出を目論んで、家族とともにインドに住んで営業活動をした。そのとき会社のインド人秘書と不倫関係を持ち、それが原因で離婚する。
 このような舞台が設定され、この小説の本体が始まる。主な登場人物は、殺されることになる大学生を含め以下の5人で、彼らの手記、手紙あるいは新聞記者相手の発言などで小説が構成される。 ・大学生:キリスト教徒。上に述べたように、女性の権利のためのNPOで活動。
・行政官:穏健なヒンズー教徒。33歳。難関の公務員試験に合格したエリート
・警察署長:シーク教徒。行政官とは古くからの友人。過去に宗教対立の暴動で弟を殺された。
・地元のヒンズー至上主義者:寺院再建運動を進め、9月30日の行進を組織。
・大学教授:穏健なイスラム教徒。イスラム教の歴史の研究のためこの地域に滞在。
 一番の主人公は、大学生ではなく行政官である。二人は恋愛関係になり、毎週二回、郊外の要塞跡で会い、セックスをする。行政官はすでに結婚をし娘がひとりいる。大学生はまもなく帰国予定であり、行政官は家庭を捨てるか、彼女との関係を絶つかの選択を迫られる。妻に愛情はなかったが、娘のために家庭の方を選ぶ決心をする。
 誰が、なぜ大学生を殺したのかが主題で、そこに宗教対立や行政官との恋愛がからむ。と書くと、おもしろい小説になりそうだが、しかしこの作品はおもしろい小説とはいえないだろう。全般的に説明的なのだ。登場人物からして、バランスが取れすぎていて図式的な印象が強い。いってみれば、彼らが順番に登場しては演説をするのを聞かされ続ける、という感じなのだ。それぞれ言い方はうまく、説得力があるのだが、政治家のレトリックのようで、読んでいる方は少し引いてしまう。
 それと平行して、大学生と行政官の恋愛話が感傷的に延々とつづられる。個人的には、行政官のパート(手記やら、手紙やら)が一番だめだった。恋愛についての記述も、宗教や家庭についての演説的な語りも、どちらも気取りが鼻について好きになれなかった。(むずかしい単語を使うので、辞書を引くのが面倒だった、ということもある)
 国連の副事務総長まで務めたという作者の経歴を考えると、作者はこの行政官に自分を映していたと想像できる。その上で、アメリカ人の若い女性からべたぼれされる筋書きを、しつこいほど思い入れたっぷりに描いていたと考えると、もうしわけないがちょっと気持ち悪く感じる。
 というわけで、恋愛パートはどうしても認める気にはならないのだが、政治家の演説のような雰囲気は、一般的に小説として好ましいとは言えないとしても、この作品の場合は必然性があったのかもしれない。あとがきによれば、ここで描かれた暴動は、実際にKhargoneという都市で起こった暴動をもとにしているという。また、ヒンズー寺院を建てるためイスラム寺院が壊されたという事例が1992年に実際にあり、またこの作品が出版された2001年にもヒンズー至上主義者の同様な運動が行われているのだという。したがって、著者には、インドの読者に向かって演説し、穏健主義を説かなければいけない理由があった、と言うこともできそうだ。

 事件の当日、帰国の日を間近にひかえた大学生は、行政官ともう一度会うために要塞跡へ行く。そこで誰が大学生を殺したのかということについては、二つの可能性が示される。不倫の現場を押さえ行政官に圧力をかけようとしたヒンズー教徒、要塞跡を武器庫として使っていたイスラム教徒。そのイスラム教徒は、自分の妻に産児制限を教えた大学生を恨んでいた。そのどちらが殺したのかについては、はっきりと書いてはない。だが、ヒンズー教徒の方だと作者は設定しているように読めると思う。大学生が要塞跡に一人でいるのを見つけ、乱暴しようとし、抵抗されて殺した。つまり、おろかな、発作的な犯行だ。作者は、イスラム教徒が宗教的な主義主張から大学生を殺したという設定にはしなかっただろう。なぜなら、どちらの宗教にも憎悪や暴力は本質的に内在していないというのが作者の信念であり、この本が伝えようとしているメッセージなのだから。