「Bottom of the Heap」, Reeti Gadekar、2010年

 主人公Junejaはデリー市内に勤務する45歳の警察官である。結婚を考えている(巨乳の)彼女がいる。父親は繊維業を営んでおり、いずれ主人公Jに後をついでほしいと思っている。小説の中で暴行殺人が起きるのだが、通常のサスペンスものとは異なり、主人公は謎を解くわけでも犯人を追い詰めるわけでもなく、むしろ状況に翻弄され続ける。物語は以下のように展開する。
・Jの部下が窃盗を訴えてきた外国人女性をレイプする。その女性はその後自殺してしまう。女性たちによる警察への抗議行動が始まる。Jも上司として責任を問われることになる。
・レイプ事件のほとぼりをさまます意味もあり、Jはデリー近郊の村での道路建設にかかわる事件の捜査を命じられ、単身その村に行く。うったえによれば、村では、道路建設が予定されているが、建設用資材が盗まれた。
・Jは、ホモの男性二人(インド人とイギリス人)が経営する宿に滞在する。そして地元の有力者Raghuに会う。道路建設を落札したのは実はRの会社である。
・Jは偶然村の女性3人と道で出会う。Rの召使として働いている十六歳の娘、それにその母親と叔母で、明らかに低いカーストに属している。彼女たちは、資材の窃盗などなかった、住民は道路建設を待ち望んでいる、とJに語る。
・実際、資材の窃盗などなかった。Rは安い価格で工事を落札し、資材を購入していないのに購入した書類を偽造、盗まれたことにして保険金を得ようとしている。保険金の請求のため警察の報告書が必要になる。RはJに報告書の原稿を渡し、Jは真相をわかっていながらそれにもとづいて報告書を作る。
・Jの祖母がなくなり、Jはデリーに戻る。翌日、宿屋のイギリス人から助けを求める電話がかかる。Jが村に戻ると、地元警察にひどく傷ついた母親がいる。Jが道で出会った3人の女性は村人にレイプされ、暴行を受け、娘とその叔母は殺された。指示したのはRだ。Rは、道路建設に反対する住民によって資材が盗まれたという話をでっち上げたい。しかし、娘は盗みなどなかったとJに話した。Rは怒り住民に彼女らを襲わせた。
・Jは真実を明るみに出そうと考える。しかし、盗みはあったという報告書をすでに提出してしまっていた。さらに、暴行は警察の仕業だとほのめかす新聞記事が出る。記事では、再びJのいる場所で強姦が、とJの関与も示唆される。その翌日には、もっとはっきりJ仕業だとする記事が出て、Jの親戚もJの彼女もその記事を信じてしまう。
・RからJに電話がある。大金を支払うから事を収めよう、地元の警察官はすでに金を受け取り、暴行の罪をかぶることにした、とRは言う。Jはその金を受け取り、警察を辞め家業を継ごうと考える。そして、暴行された母親と暮らしてもいいと思いはじめる。
 結末は、しかしあいまいだと言うべきだろう。それまでもJの考えはゆれていた。次の瞬間には別の判断に心が移るということもある得る。
 よくできたストーリーだと言っていいと思う。女性に対する暴行、カースト制度、地方における前近代的な体制といったインドのかかえる社会問題が織り込まれ、後半、Jがしだいに追い詰められていく展開は意外性もある。ただ、読み物として楽しめる小説ではまったくなく、むしろ読みにくいタイプの小説と言っていい。小説はもっぱらJの視点から語られる、というより、ほとんどJの内面が語られるのだが、そのJの内面というのがどうにもつきあいにくく、つきあっているうちにこちらが不快な気分になってくるのだ。おそらくそれはJが物事なり人なりをほとんどことごとく否定的に見ているからではないかと思う。たとえば、付き合っている彼女については、ほぼ胸が大きいことしか言わない。それはまるで彼女という人格を否定しているかのようだ。あるいは、自分に出された紅茶あるいはそれに入れる砂糖を、まるで食べ物ではないかのように表現する。(紅茶は尿、砂糖は糞)村であった女性たちについても、匂いがすることを繰り返し言う。そしてそのような否定的な視線が自分に向くとシニカルというか偽悪的な言い方になる。このような調子だから、このヒーローに対して共感する読者は少ないはずだ。(まれに妙にナイーブな発言をするのだが、その部分はかなり不自然な感じを与える。)
 もちろん作者は意図してそのような人物を造形している。Jが熱血な正義漢であっても、逆に非道な極悪人であっても、あのようなストーリは生まれ得なかった。ただそれにしても作者はやりすぎだったのではないかと言う気がする。偽悪も行き過ぎると気取りになる。ここまで気取って書く必要があるのかと首を傾げたくなるときが何度もあった。
 また、Jの内面の声と事実の描写が区別がつきにくい。ところどころイタリックの文章があり、それはJの内面の声をあらわしているのだが、それ以外の部分も内面の声が多量に混ざっている。たとえば村の女性が現実に臭ったのか、Jがそう感じただけなのかは重要な点だと思うのだが、こういう書き方をされるとはっきりしなくなる。
 おそらくこの作品は読み物として人気が出ることもないだろうし、文学作品として高く評価されることもないだろう。しかし、それでもこの作品に読む価値があるのは、現代インドの社会問題を懸命に告発しようとしているからだ。そしてその告発されている社会問題の中核は、もちろん女性への暴力だ。インド経済は順調に発展しているし、日中の街中はどこも活気があって治安が悪そうには感じられない。だまされて小銭をくすねられることはあっても、アメリカのように命まで奪われる危険はない。また、街を歩く女性たちは、肌を大きく出す服や、体の線がはっきりわかる服を着ることはほとんどない。男女のカップルを見かけることもあまりないし、性的な面では日本や欧米に比べると禁欲的な印象を受ける。旅行者の感じるインドとはそのようなところだ。しかし、インドに住む女性にとって、インドという国の実態はそれとは異なるのだということをこの小説は訴えている。
 そのことを証拠立てる事件が2012年末にデリーであった。深夜、若いカップルがデートの帰りにバスに乗った。しかし、そのバスは本当の乗り合いバスではなく、強姦を目的とした犯罪者集団によって仕立てられた偽装バスだった。バスの運転手も乗客もすべてその一味であり、女性は強姦暴行の末殺され、男性も重傷を負わされた。その後、ちょうどこの小説でも描かれているような、あるいはもっと大規模な女性たちのデモがインド各地で行われた。私は2013年1月始めに南インドを訪れたが、女性たちのデモの記事が連日新聞の一面に掲載されていた。
 また、この小説の発端となった事件のように、外国人女性が被害にあうケースも少なくないようだ。
「毎日新聞 3月16日(土)20時9分配信 インド中部マディヤプラデシュ州で15日夜、夫と2人で自転車でインド国内を旅行していたスイス人女性が野宿したところ、男たちにレイプされ、パソコンなど所持品を略奪された。警察は強姦(ごうかん)などの容疑で男8人を拘束し、調べている。」
「時事通信 6月4日(火)21時24分配信 インド北部ヒマチャルプラデシュ州で3日、旅行中の米国人女性(30)がトラック運転手らに集団レイプされる被害に遭った。地元メディアが4日報じた。警察によると、女性は運転手らに「車に乗せてあげる」と誘われ応じたところ、人けのない場所に連れて行かれた。容疑者らの行方を警察が追っている。」
 これらは、インターネットの大手ポータルサイトの目に付くところに掲載されていた記事である。手広く検索して探し出したわけではない。したがって、実際には同様の事件はかなりの数起きていると考えていいだろう。どちらの記事にも、12年末のデリーでのバスレイプ事件への言及がある。そして二つ目の記事には、その事件以降、海外からの女性旅行者数は35%減少したとある。
 デリーでのバスレイプ事件は、手口があまりに残忍であったために大きなニュースとして扱われ、それによってインドにおける女性への暴力という問題がメディアで取り上げられるようになった。しかしそれ以前に同様の問題がなかったわけではもちろんなく、それまでは隠されていた、それほどまでに女性の人権は軽視されていた、ということであろう。この小説は、デリーの事件に先立ってそのことを告発していたし、デリーの事件を含め現在の状況を予見していたと言ってもいい。その点において、この小説は現代のインドを知る上で重要な意味を持つ作品になっている。