[好ましい科学のあり方]
 「科学は変わる」の後半部分では、好ましい科学技術のあり方が述べられています。当然それは、前半の巨大科学批判を受けて、その問題点を克服するものとして考えられています。
 高木さんの考える”好ましさ”は、次の簡潔な4つの条件にまとめられています。
1.不平等を減らすこと
2.抑圧を減らすこと
3.自然と人間の関係の総合化
4.実践を媒介とした知の相対化

 このうち、1から3についてはそれほど説明は必要ないでしょう。”抑圧”という言葉が少しわかりにくいかもしれませんが、ここでは、私たちが主体的な選択をできなくなること、を意味していると考えていいでしょう。巨大な科学技術産業のもとでは、人々は商品の形で一方的に科学技術の成果を与えられるだけで、科学技術の進む方向を自ら積極的に変えることができません。開発に携わっている研究者でさえ、主体性を奪われています。それを、主体性が抑圧されている、という言い方で表しているわけです。
 1と2は、最初にルソーの本を紹介したときお話しした問題に通じていると言えるでしょう。自分ですき好んで消費していると感じていても、その実、欲望を操作され掻き立てられているとしたら、それは抑圧を受けていることになります。新しい商品を開発し人々にそれを売り込もうとするのは巨大産業であり、欲望をかき立てられその商品を買うのはそれだけのお金を持った裕福な人々です。科学はそこでは裕福な人々にとって”役に立つ”技術を生み出す役割を果たすだけで、貧しい人々の生活をよりよくするための研究開発は行われません。こうして、富める人々はますます多くを消費するようになり、貧しい人との生活レベルの差が大きくなっていきます。
 そしてその過程で、自然はもっぱら商品の原材料として、あるいは原材料を供給する場として、利用されます。現代の科学技術は、水なら水、木なら木、鉱物なら鉱物、といったぐあいに自然を部分に分解し、コントロールしようとします。そのようなやり方が自然破壊を招き人間の不幸を招くことを、今の私たちはよく知っています。
 好ましい科学技術はこれらの問題を克服したものでなければなりません。その具体像は、あとで少し紹介はしますが、それほど容易に描けるものではないかもしれません。ただ、理念としては明快であると思います。

[生活実践と結びついた科学技術]
 最初の3つと比べると、最後の「実践を媒介とした知の相対化」という条件はわかりにくいと思います。少なくとも一般的ではありません。最初の3つの条件が好ましいものであることを否定する人はまずいないでしょう。しかし最後の条件が好ましい意味内容であるかどうか、一見しただけでは分からないのが普通でしょう。
 ところがこの最後の条件こそが、この本の主張のもっとも特徴的で重要なポイントなのです。次の文章からも分かるように、この条件には他の条件がすべて含まれていると高木さんは考えています。
「・・知は実践と分かち難く結びついています。実践に照らして知の確からしさを検証し、絶対的なものとして知が一人歩きすることを防いでいく、そのような知のあり方が可能になっていくためには、人々が共通の実践に立ちうること、いいかえれば、差別や抑圧のない人と人との関係が絶対的な条件となります。人と人との関係に置いて、支配-被支配という関係が徐々にせよ克服され、商品を通じての人と人の結びつきという関係が、より人間的な交流へと深化していくとき、そのときにのみ、私たちの自然に対する共通認識も深まりうると考えられます。」
科学技術が生活の実践と結びつくには、”共通の実践の場”が必要である。そこでは差別や抑圧も解消されているはずであり、自然に対する認識も変わっていく。そう高木さんは主張しています。このことを踏まえ、以下では4つめの条件に集中して議論をしていきたいと思います。

[関心を生活へ]
 すでに見たように、巨大科学技術を初めとする現代の科学技術は、人々の生活実感から乖離していく傾向にあります。それも、科学者でない一般の人々の生活実感から乖離するだけでなく、科学者技術者というひとりの人間の中でさえ、専門家としての価値観と普段の生活での価値観や感性とが分断されてしまうことがあり得ます。その結果、人々が日々の生活において解決してほしいと望んでいる課題とは違う性質の内容を、科学者技術者は研究するようになります。科学は、きわめて純粋な物質、分子の密度が限りなく低い真空、絶対ゼロ度に近い極低温など極限の状態を研究し、そこでの認識をどんどん発展させています。しかしそのようなことを、人々が知りたいと望んでいるわけではありません。人々が解決したいと望んでいる問題は、もっと生活に密着した問題であるはずです。(もっとも、日本のような先進国では、そのような生活に密着した課題というのも、見つけにくくなっていますが)こうして、先端的な科学が進歩する一方で、本当に解決すべき課題が解決されずに残されます。
 それでは、生活に結びついた科学技術とはどのようなものなのでしょうか。高木さんは、シューマッハという人がとなえた”中間技術”という考え方とその具体例を紹介しています。その中間技術とは、
「われわれが必要とする手段と設備は
事実上すべての人々の手が届くほど十分に安く
小規模の使用に適し
人間の創意を満たすのに適合するものでなければならない。」

という、シンプルな言葉で表現されます。これも、高木さんの好ましい科学の条件と同じく、簡潔ですが深い意味を持っている条件だと思います。特に、最後の「人間の創意を満たすのに適合するものでなければならない」という条件に僕は感銘を受けます。巨大な科学技術産業のもとでは、人々は生産物を商品として受け取るということを通してのみ科学技術とかかわり、また研究者はシステムの歯車の一つとなって働きます。それとは対照的に中間技術においては、私たち一人ひとりが創造力や独自性を発揮し、科学技術を作りあげていく過程に関与します。そのためには、科学技術は巨大システムであってはならず、誰もが手にすることができるような安く簡便な手段から成り立っている必要があります。
 そのような科学技術の一例として、インドで考えられている(いた)肥料生産の例が紹介されています。近代的な工場で窒素肥料作れば一カ所で毎年何十万トンもの量を生産することができます。しかしそのときには石炭など資源を消費しますし、結果としてその工場を作り動かす大企業に国の農業が依存するようになってしまいます。それに対して、昔ながらの堆肥づくりのような小規模な肥料生産を、農村地帯の何万カ所かで行うことを考えます。このようなやり方なら、生産や輸送に無駄なエネルギーを使わずに、その土地の資源だけを利用して肥料生産ができます。また大企業や外国資本が農業に介入することもなく、経済的に自立した状態で多くの雇用を生み出すことができます。さらに、人々の意識を、都会や先進諸国ではなく、その地域の社会や自然に向けさせ、地域の自立発展を促す効果も持ちます。
 「科学は変わる」では、好ましい科学技術のあり方の議論の前に、かなりのページ数をさいてクーンの「科学革命の構造」が紹介されていて、中でも”通常科学論”に相当する部分が詳しく論じられています。以前にお話ししたように、クーンは通常科学の姿を”パズル解き”と呼びました。これは、科学者自らがルールを作り、そのルールのもとで正解を探す作業を意味しています。そこでは問題の設定も、その解決も、すべて専門家集団の中だけで行われます。高木さんが考える好ましい科学技術の姿やシューマッハの中間技術は、そのような閉じた営みではありません。問題の設定も解決も、基本的には専門家ではない人々の参加のもとに行われます。その点こそが、彼等が主張する”好ましさ”のもっとも重要な要素であると言っていいでしょう。

[学問の自由?(問題設定の仕方の問題)]
 ところで、高木さんのこのような主張は、多くの科学者にとってちょっと受け入れがたいものなのではないかと思います。以下では、現実の科学者技術者の立場からの、高木さんの説への予想される反論を考えてみたいと思います。その後で、再反論をする形で、より詳しく高木さんの主張について考えたいと思います。
 予想される反論は二つあります。一つ目は、学問の自由、あるいは学術的な価値という問題です。素粒子の研究や宇宙論の研究などは、それが成功したからといって、私たちの生活が変わるわけではありません。したがって、私たちが生活の中でそれを解明したいという欲求をもつことはないでしょう。まあ、漠然と物質や宇宙の成り立ちを知りたいと思うことはないではないでしょうか、そのような素人の好奇心と専門家の研究内容とは、たいていかけ離れていると考えていいでしょう。
 ではそのような場合、生活の実践に基づいていない素粒子や宇宙論のような、”純粋科学”の研究は否定されるべきなのでしょうか。人々のためであれ、企業のためであれ、役に立つか立たないかで研究の価値を判断するのは正しいことなのでしょうか。もしそうなら、”応用科学”のみが価値あるものであり、”純粋科学”は価値のないものとして否定されなければならなくなります。
 おそらくほとんどすべての科学者は、実用的な有用性とは別の価値が科学にはあるのだと信じているでしょう。では、科学の価値とは何か? これにはいくつかの考え方があると思います。一つは、今役に立つように見えなくても、将来何かの役に立つかもしれない、という考え方です。実際、最初は何の役に立つかまったくわからなかったにもかかわらず、しばらく後に私達の生活を大きく変えた理論・技術はいくらでもあります。たとえば量子力学が生まれたとき、それが私たちの生活に何か関係があると考えた人はあまりいなかったでしょう。しかし実際はそこから半導体産業が生まれました。むしろ、今の科学技術の根幹をなしている理論・技術はたいていそういう経緯を経てきたと言ってもいいでしょう。もっとも、この見方は結局実用的な有用性に価値を見出しているには違いありません。ただ、少なくとも今現在の有用性で価値を判断してはいけない、という主張にはなっています。
 また、それとは別に、科学的な知識そのものに価値があるとする見方があります。真理を探究することはそれ自体価値のあることである。科学が進歩し、人類の持っている知識が増えるのは、その知識が何かに役立つかどうかは抜きにして、すばらしいことである。あるいは、人間は衣食住などの物質的な欲求だけでなく、知的好奇心を持っている。より多くの知識を身につけることも、おいしい食事や美しい着物を得ることに劣らず、われわれに満足を与えてくれる。したがって、科学の研究によって知識を得ることは、そのような満足をより多く与えてくれることになる。(厳密に言えば、この二つの考え方は異なる考え方です。最初のは知識そのものに価値ありとする考え方ですし、次のは人間の満足感というものを介して価値が生まれるとする考え方です。ただ、物質的な有用性とは別の価値があるとする点では共通しています。)
 たしかに、私たちは物質的な必要性が満たされればそれで満足して生きられるわけではありません。たとえば私たちは音楽や文学などの芸術にたくさんのお金と精神的なエネルギーを使っています。そんなことに金を使うのは無駄であると切って捨てるような主張に賛同するひとはまずいません。それならば、最先端の科学技術も、生活に結びついていないからと言う理由で、切って捨ててしまっていいわけはないでしょう。
 ”学問の自由”という言葉があります。研究者があることを明らかにしたいと思ったとき、そんなことはやめておけと誰かが圧力をかけてやめさせてはいけない。もしその”学問の自由”を認めるなら、研究者がやりたい研究をするのを、生活に密着していないという理由であれなんであれ、けしからんと非難することはできないはずです。

[自然科学の文化的価値]
 これは難しい問題です。”中間技術”のすばらしさは紛れもないとしても、すべての科学技術が”中間化”してしまうのが好ましいとは、僕も言い切ることはできません。高木さんも”純粋科学”を否定しようとしたわけではないような気がします。しかし、今紹介したような科学の擁護をそのまま認めていいというわけではありません。ここでは、二つのレベルでこの擁護論に対して反論してみたいと思います。
 第一の反論はこういうものです。”学問の自由”といっても、それは政治的、経済的な権力から自由であるべきだという意味で、社会的な要請から自由でいいわけではない。研究にはほとんどの場合国の予算など公的な予算が支出されているのだから、社会の要請に応える研究をする義務が研究者にはあるはずだ。
 ただこのようなセリフは、聞いていてあまり気持ちのいいものではありません。このような言い方でもって、政治的、経済的な要請が研究者に押しつけられることが往々にしてあるからです。それを防ぐためなら、”学問の自由”を広く認めた方がよほどましだと思えます。
 かといって、社会の要請という原理を無視して平気でいることが正しい科学者の態度であるのかどうか、疑ってみてもいいでしょう。次のような考え方だってできます。この世界では、毎日たくさんの人々が飢えて死んでいきます。科学者技術者としての自分の才能と労力は、そうした人々を救うためにこそ使うべきではないのか。好奇心を満たすため”純粋な”研究をやるのもけっこうだが、好奇心と人の命と、どちらを優先すべきなのか、答えは明らかではないか。
 しかしこれには次のような再反論もあり得ます。飢えて死ぬ人がいれば、映画を見てはいけないのか、小説を読んではいけないのか。世の中に不幸があるからといって、芸術や科学のような、人間の精神の自由な活動をすべて否定してしまうのは間違っていないか。
 正直なところ、僕はこの議論に対して明快に決着をつけることができません。ただ、実を言うと、このような議論は本当に実のある議論なのかどうか、僕は疑問に思います。科学がひとつの精神的な文化であり、それ独自の価値を持つことは、理念としては正しいでしょう。しかしそのような議論は、理想化された自然科学をイメージしながら進められていて、必ずしも現実の研究の姿をふまえてはいないのではないでしょうか。現実の研究のあり方から出発すれば、いまお話ししたのとは異なる議論になるはずです。それが、科学の擁護に対する、二つ目のレベルでの反論です。

[パズル解きには価値はない]
 先ほどもふれたように、「科学は変わる」の中ではクーンの「科学革命の構造」が、特に通常科学論に重点を置いて、かなり詳しく紹介されています。以前の説明したように、そこでは科学の研究が”パズル解き”と形容されています。クーンの”科学革命”についての議論には多くの批判がありますが、”通常科学”についての議論は研究の実体を的確に描いていると思います。
 「科学は変わる」では、このクーンの論が、理想化された科学の擁護に対する反論というか中和剤になっていると見ることができます。パズル解きには、すぐれた芸術が持つような精神的、文化的な価値はありません。また自然科学では、科学の教育を受けた専門家だけの閉じた集団の中で、相互に評価し合うシステムが作られました。クーンのいう制度化です。このことも科学の文化的な価値を大きく損ねているはずです。芸術は常に人々に鑑賞され、その価値を評価されています。それに対して科学技術は主として専門家同士の間で評価がなされています。その結果、一般の人々にとって役にも立たなければおもしろくもない研究が、生き延びていくこともあるでしょう。
 クーンの議論に科学者が強く反発したのは、自分たちの仕事の文化的価値を否定されたためだったのだろうと思います。自分のやっていることの価値が否定されれば、だれしも反発したくなるものです。特に科学の場合は、クーン以前にはその価値が疑われることがあまりありませんでした。それどころか、厳密な客観性に基づく自然科学こそがすべての学問の手本だと考える科学者がたくさんいました。それだけに、価値が否定されたときの反発が激しくなったのでしょう。その反発が強すぎたあまり、”サイエンスウォーズ”としてすでに紹介したように、科学に対する批判を受けつけようとしない頑固な科学擁護論が現れました。
 これは自戒を込めていうのですが、研究者は自分のやっていることを、それこそ客観的に、批判的に見つめ直さなければいけません。この話しの最初に紹介したように、高木さんは普通の研究者としてのキャリアを十年以上積んでいますが、その間の研究活動を客観的批判的に見つめなおした結果が、この「科学は変わる」という本であり、その後の生き方であったのだろうと思います。

[素人に解決できるか?(解決の仕方の問題)]
 では次に、高木さんの主張に対して予想されるもう一つの反論について考えたいと思います。それはこういうものです。堆肥づくりによる肥料生産のような中間技術もけっこうだが、生活におけるすべての必要がそのような技術で満たされるわけではない。私たちが普段の生活で利用している色々な電気製品にしても、日頃お世話になる医療にしても、相当に高度な科学技術が用いられている。現に私たちはテレビや電話の原理をちゃんと理解しているわけではないし、風邪薬の作り方も知ってはいない。またビルや橋、ダムなどの巨大な建築物も中間技術で実現できるものではない。素人が参加できる技術のごく範囲は限られていて、それを超えた範囲の技術はその道の専門家にゆだねるしかない。
 たしかに、先進国に暮らす私たちにとって、現在の科学技術は、私たちの”創意を満たすのに適合する”というレベルをはるかに超えてしまっているようです。インターネットにしても携帯電話にしても、私たちが”実践に照らして知の確からしさを検証”すべきだと言われても、途方に暮れるしかりません。
 中間技術では間に合わない分野、どうしても専門家にゆだねるしかない技術分野があることを、僕自身は認めたいと思います。たとえば電力系統をトラブルなく運用するのはたいへんに高度な技術が必要です。先進国は電気を使い過ぎであるとしても、電気を使うことができないでいる人たちに、その状態で満足せよと言うことは間違っています。そして電気使用の普及ためには、中間技術とは言えないような、大規模で高度な技術も必要になるでしょう。
 高木さんやシューマッハの主張を変に極端に押し進めてしまうと、科学技術を否定する反科学主義に行き着きかねません。もちろん、高木さんはそのような主張をしたかったわけではないはずです。それはちょうど、ルソーの主張が原始時代に戻れというものではないのと同じです。そして、専門性の高い分野でも、高木さんの主張をふまえた科学技術のあり方を考えることはできるはずだと僕は思います。

[決めるのは誰か]
 専門性の高い技術分野では、それに関する専門家がいて、それ以外はみな素人ということになります。では、そのような分野で何らか判断を迫られたとき、誰がどのように判断すべきなのでしょうか。当然専門家がすべきである、と考える人たちが世の中にはいますが、しかしその考えは間違っています。
 まず、専門家は常に良心的であるとは限らない、という問題があります。すでに述べたように、専門家は専門家としての自分自身の成功を追い求めがちです。専門家としての成功と、人々の幸福への貢献は、常にとは言いませんが、時に相反します。たとえば、住民と国がなにかの問題(原発、ダムなど)で対立しているとき、国の側に立った方が、研究費や役職を得るのには間違いなく有利でしょう。そのような配慮から意識的に、あるいはもしかしたら無意識のうちに、住民に敵対する立場に立つ専門家もいます。いわゆる御用学者という存在です。
 そこまでひどくなくても、論文が書けさえすれば自分の研究の結果が人々の暮らしに何をもたらそうがかまわないと考える研究者は、残念ながら例外的とは言えません。すでに繰り返し見たように、研究者は人々の日々の思いとはまったく無関係なところで、自分たちだけに通用する価値観に基づいて研究をしてしまう傾向があります。また、科学技術が細分化してしまったために、自分の担当するごく狭い範囲にしか関心をもたない専門家たちもいます。そのような専門家たちに、科学技術に関わる価値判断を任せたいとはだれも思いません。
 では、専門家が完璧に良心的でありかつ社会に無関心ではないとしたら、彼らに判断をすべてまかせていいのでしょうか。例として、最近しばしば話題になるダム建設の問題を考えてみます。ダムの建設はもちろん高度な専門技術を必要としますが、それはひとまずおくことにして、ここではダム建設の必要性の議論の方に注目することにします。国土交通省によれば、ダムの必要性を判断するのは専門家の仕事です。たしかに、洪水が起きるか起きないかを予測するためには、土木工学や気象に関する専門的な知識が必要です。であるなら、ダムの必要性も、数式かなにかに基づいて、数値ではっきりと示すことができるでしょうか?
 それは不可能です。専門家は、たとえばダムを作らなければ百年に一度洪水が起きる、と予測することができます。(本当は、そのような予測はきわめて不確かで、恣意的な情報操作が紛れ込むことが多いと言われています。が、その問題にはここではふれません。仮にそのような予測が正確にできるとして・・)それでも、ダムを作る、作らないはそこに暮らす人々が判断しなければなりません。理由は簡単です。お金や労働力といった資源は有限です。一方、人々の生命財産に対する危険は洪水だけではなく、交通事故、犯罪、病気、火災など限りなくあります。どの資源をどれだけ、どの危険の対処に割り当てるかは、そこに住む当の人々以外には決めることはできません。
 同じような例をもう一つあげます。原発の危険性を議論するときに(たいていは原発を擁護するために)次のような言い方がなされることがあります。原発は危険だと言うが、商業用の原発の事故で死んだ人はいない。(ひとまず、そうしておきましょう)一方、交通事故では毎年一万人前後の人が死亡している。それだけ危険な自動車を使っていながら、原発は危険だから使わないというのはおかしい。
 仮に原子力の専門家がこのように主張したとしても、それは専門家としての主張ではなく、ひとりのただの人としての主張にすぎません。自動車と原発のどちらが危険かを決める専門家はいません。その二つの危険性はまったく性格が異なっており、またそれぞれがもたらすメリットもやはり性格が異なっています。それらの相対的な重さを評価するのは、人々の価値観以外にはないでしょう。(ちなみに、僕はここで原発が自動車より危険だと主張するつもりはありません。自動車の危険性はたいへんに過小評価されていると思います)
 これらの例からわかるように、研究や開発をするのは専門家の仕事であっても、その結果・成果に関して価値判断をするのはすべての人々であるはずです。専門家は自分のやったこと、あるいはこれからやろうとしていることの価値に関して、素人の判断をあおがなければなりません。一方素人は、専門家に判断をまかせるのではなく、あくまで自分が価値判断を下すという意識を持つ必要があるでしょう。それが、高木さんの言う”実践を媒介とした知の相対化”につながるのだろうと思います。

[科学者は判断をしなくてよいか]
 しかし、価値判断をする責任がもっぱら一般の人々にあり、科学者技術者の側に無いと言ってしまうことは、別の危険性をはらんでいます。いささか極端な例になりますが、ナチスドイツに協力した科学者は、ヒトラーが多数の支持を集めていた時点では、人々の価値判断に従ったということになるでしょう。あるいは、核兵器開発に携わった技術者は、その国の人々が核兵器を是認しているなら、やはり人々の価値判断に従ったことになるでしょう。そうであるなら、その核兵器が戦争で実際に使われ、多数の人々が死んだとしても、その技術者には責任がないと言える、のでしょうか?
 戦争で人が死んでも、生産活動の結果環境が破壊されても、悪いのは科学技術を使った人間でありそれを開発した科学者技術者は悪くない、という見方があります。人々が価値判断をすべきであるという命題が、科学者技術者は価値判断をしなくて良いという命題に変わってしまえば、それら専門家たちは科学技術がもたらす結果について何も責任をとらなくてよいことになってしまいます。しかし、それに同意する人はもうあまり多くないでしょう。僕らは科学技術の持つ力を知っています。科学技術に携わる人が、それがもたらす結果に無頓着のまま、気ままに研究をしていいはずがありません。
 科学者技術者には専門家として自ら価値判断をする責任があります。専門家でなければ見通せないことは必ずあります。核兵器や原発事故の恐怖をもっとも正確に予見できるのは、原子力の専門家なのです。そのように先が見えるということによって、おのずと責任が生まれるでしょう。少なくともその恐怖を正確に人々に伝えなければならないはずですし、さらに、それを防止するため積極的に活動をする義務も生ずるでしょう。
 人々の判断が常に正しいとは限りません。アーリア人は人種的に優れているとか、原発の安全性は確証されているといったトンデモな断言を多数の人々が信じ込むこともあります。そのようなときに、それは間違いだと科学者は指摘しなければなりません。

[答えはどこに]
 このような科学技術倫理の議論においては、答えが必ず見つかる場所はどこにもないのだと思います。絶対的な答えは人々の側にも、科学者の側にもありません。科学者技術者は他の人々に比べ問題を正確に理解し、帰結をより遠くまで見通せるでしょうが、その上でまったく間違った答えを選ぶかもしれません。専門家たちは専門家どうしの間でだけ通用するパズル解きのルールに従って競争をしています。また、研究費や地位の獲得が手段ではなく目的となってしまい、そのために結論がゆがめられてしまう恐れがあります。一方専門家以外の人々は、正確な知識がないために、間違った考えを持つかもしれません。それに、日々の生活の中では、程度の差こそあれ、誰もが利己的な動機に基づいて判断をしています。専門家ではない人々の感覚や価値観が常に正当なものだと無条件に信じ込むのはまちがっているでしょう。
 結局のところ、専門家に任せても、素人に任せても、問題は起きます。だとするなら、お互いが交流をする以外に、正しい選択にたどり着く方法はないでしょう。高木さんは、専門家である科学者技術者とそれ以外の人々の間に意思の疎通が失われていることを、この本の中で強く批判しています。それだけでなく、ひとりの人間の中で、専門家の部分と日常の生活者の部分が遊離してしまっていることを問題視していました。
 ですから、科学技術を好ましい方向へ向けるために、専門家である科学者技術者は、次の二つの責任を負おいます。第一に、他人である素人に十分説明しその判断を尊重すること、第二に、自分個人の中で、素人あるいは生活者としての価値観と専門家としての活動をできるかぎりリンクさせることです。
 一方、素人の側では、できる限り正確な情報を得る努力が必要になります。なにより、判断を専門家にゆだねないという覚悟が重要でしょう。それが素人としての最大の責務と言えます。さらに専門家を積極的に利用することができれば理想的です。高木さんは次のように書いています。
「最近では、市民・住民運動は、認識の主体を自分たちととらえて、そこに既存の専門性を取り込んでいく、といった方向に歩み出しているように思えます。科学者や専門家を無視するのではなく、その関心を自分たちの必要性へと向けていく、ということです。さらには、市民運動や環境運動の団体が、資金を集めて、自分たちの関心に応えてくれるような科学者・研究者を掘り起こし、若い研究者を育成し、研究を保障していこうという動きにまで発展しています」

[コンセンサス会議]
 この議論の終わりに、最近試行されるようになったコンセンサス会議というものを紹介したいと思います。科学技術で重大な判断をしなければいけなくなったとき(たとえば脳死を死と認めるか、とか、遺伝子組み替え作物を導入するか否か、など)、従来はその分野の専門家が判断をしていましたが、そうではなく素人の代表が集まり意見をまとめるのがこのコンセンサス会議です。その際、専門家が会議に呼ばれ説明をしたり、会議のメンバーの質問に答えたりします。しかしそれは単に科学的技術的な報告するだけで、会議の結論について自分の見解を表すことはありません。素人である会議のメンバーが議論をし、合意を得て、是か非かの判断を下します。
 日本ではまだこのような会議の判断が公式なものとして効力を持つことはなく、予行のような形で試みに行われているに過ぎません(と思います)。ただ、このようなやり方の有効性は行政の専門家や官僚たちの間でも認識されつつあります。逆に言うと、科学技術の専門家たちの判断が必ずしも社会に受け入れられなくなってきたのです。たとえば医薬品の安全性についての専門家たちの判断は、血友病(非過熱製剤によるエイズ感染)の問題を初めとする薬害が繰り返された結果、かなりの程度疑いの目で見られるようになったと言っていいでしょう。それは部分的には、この話しの初めの方でふれたように、安全性にかかわる事柄は厳密に実証できないという事情が現れていると考えられます。しかしそれだけでなく、人々が専門家とはどのような人種であるかを見抜きはじめているからでもあるしょう。
 ところで、このコンセンサス会議の場では、素人が専門家から学ぶと普通は考えられていますが、それとは逆の効用があることを南山大学の小林先生という方が指摘しています。専門家はふだん専門家同士で情報交換をするだけで、素人に向かって自分の研究を語ることはほとんどしません。したがって、コンセンサス会議の場で初めて、専門家は自分の研究内容が素人にどのように受け取られるかを知ることになります。そしてたいていの場合、それまで自分達が当然だと思ってきた価値や基準が他の人々には通用しないことを理解するのです。コンセンサス会議は専門家に対する教育の場でもある、というような言い方を小林先生はされています。

[経歴その2]
 ふたたび、「市民科学者として生きる」という本に沿って、「科学は変わる」が出版された後の高木さんの経歴を追うことにします。大学をやめてしばらくして、高木さんは「原子力資料情報室」という組織の専従世話人になります。1975年のことです。設立にいたる経緯の中では高木さんは必ずしも中心的存在ではなかったようですが、一人で実務をまかされてからは実質的に”高木さんの”「資料情報室」へと変わっていきました。
 そのころ、1973年の石油危機をきっかけにして原発建設のブームがおとずれていました。同時に、それに対する反対運動もしだいに盛んになりつつありました。原発建設予定地の住民たちが反対運動を起こし、またそれ以外にも原発の危険性を感じとり恐れる人々が日本中に増えつつありました。そのような反原発の運動をする人々は、必然的に、専門家の集団である電力会社や国の機関と対立することになります。その際、人々の側に立って専門的な議論をサポートしてくれる科学者がどうしても必要でした。すでにお話ししたとおり、高木さんは大学で放射性物質を研究し、原子炉の会社に勤務していたこともあるという、まさに原子力の専門家です。高木さんはやがて、反原発運動を専門家としてサポートする、というより、反原発運動を理論的にリードする指導者としての役割を果たすようになります。
 このように「資料情報室」が単に情報を扱うだけでなく具体的な行動にまで手を拡げていったのは、多分に高木さんの個人プレーであったようです。現場の活動には手を出さず、専門家として情報を整理し発信することに徹する方がいい、という意見もあったといいます。しかし高木さんは、専門家として、反対運動をしている人々と直接に交流する道を選びました。
「反原発運動にかかわるようになってから、あらためて私は日本全国で高い志をもった人々に多く出会い、彼らから学ぶことによって、頭の中だけでなく、体の心から反原発となった」
「・・・彼ら(反対運動の住民たち)は、単に自分の土地を、海を守るという思いを募らせるだけでなく、原発のこと、さらに農業や漁業と日本の将来のことなど実に熱心によく勉強していた。彼らにとっては、これは『金と命の闘い』であり、命を守るために必死だったのだ」

 反対派の住民の方から技術的な事柄について質問をされてうまく答えられず、答えるためにさらに調べていくと電力会社や政府の主張の中にあるあやしさ、曖昧さがはっきり見えてくる、ということもあったそうです。専門家ではない人々が自分なりに勉強をして自分なりに考え、専門家よりも的確に真実を見抜くことがある。そのような経験が「私の学習過程だった」と高木さんは書いています。
(詳しくは別に機会にお話しできればと思いますが、原田正純さんという方も同様のことを述べておられます。この方は熊本大学の医学部の研究者で、水俣病の発見に貢献し、患者のために力を尽くした方です。原田さんによれば、専門家がだれも気づいていない医学的な真実を患者さんが指摘するということがあったそうです。また人としての生き方の上でも、患者さんに教えられるところが多かったといいます)
 高木さんの原子力資料情報室が日本の反原発運動をリードしてきたのは、なんといっても高度な”専門性”を持った活動を行ってきたからだと思います。もちろんこの”専門性”は人々の生活からかけ離れた専門性ではありません。素人には理解不能と思える形で存在している原子力情報を、わかりやすい形に解きほぐし、真実を人々に伝える。時には独自な調査研究を行い、その結果に基づいて政府や電力会社の専門家たちの主張と対決する。原発の専門家たちは反対運動を感情論だとみなして片づけようとする傾向にありますが、原子力資料情報室がそのような決めつけを不可能にしたと言っていいでしょう。
 1997年、高木さんはスウェーデンのある財団からライトライブラリフッド賞を受賞します。正しい生き方の賞。高木さんが受賞したというニュースに接するまで僕はこの賞の存在さえ知らなかったぐらいですから、この賞については詳しくは知りません。ただ、高木さんの活動が海外でも注目され評価されていた証拠であることは間違いないでしょう。
 その直後、1998年に大腸ガンが見つかり摘出手術を受けますが、すでにガンは他の臓器に転移していました。約二年間の闘病生活の末、2000年に六十二歳という年齢で高木さんは亡くなります。もし大学にあのまま残っていたらまだ停年を迎えてさえいない年齢です。いくどか参照した「市民科学者として生きる」という本は、その闘病生活の間に書かれたものです。
 その本の冒頭部には、宮沢賢治の「雨ニモマケズ」の一節が引用されています。
「ヒデリノトキハ ナミダヲナガシ
 サムサノナツハ オロオロアルキ」

高木さんはこの一節について、「宮沢賢治をめぐる冒険」という本の中で次のように述べています。
「・・いまの科学者たちは、まず人間として涙を流し、オロオロするところから出発しようとしない。その前にすべてをデータとしてクールに受けとめてしまう。そこに今日の科学の原点にある問題が潜んでいるのではないか」
「・・・常にオロオロし、涙を流すところから・・・その目の高さから科学をやっていきたい」


[個人的な思い]
 僕は大学生の時にこの「科学は変わる」を読みました。出版されてから三、四年後ぐらい、いまから約二十年前です。それから一度も読み返していなかったのですが、この話しのために読み返してみて、内容をだいたい覚えていたことに我ながら驚きました。その後に出版された高木さんの本も、少なくとも科学技術論の部類の本は、ほとんど読んだと思います。また原子力資料情報室の活躍もずっと注目してきました。(いちおう、僕も会員になっています)
 高木さんの経歴と「科学は変わる」の主張を見比べて、強い感銘を受けるのは僕だけではないでしょう。これほどまでに自分の主義主張に忠実に生き、その実現に力を尽くしたとは、本当に驚くべきことです。おそらく、高木仁三郎という人は、僕にとって憧れの人であり、生き方の一つのモデルであったのです。
 ところで一方の僕は、大学を卒業し、大学院に進み、大学の工学部の教員になりました。高木さんの主張に強く共感しながら、でも僕は高木さんのようには生きてはきませんでした。単なるつまらない専門家として毎日を過ごしています。僕はいま大学の助教授の職にあるのですが、高木さんはこの助教授という職を捨て、自分の信ずる別の道へ進んでいったのだなと、ふと思うことがあります。ただ、高木さんがそうしたのは三十代半ばの年齢の時です。僕はすでにその年齢をかなり超えてしまいました。
 高木さんと比べれば、僕は本当にダメなやつです。高木さんのように生きたいと思ってはみても、とてもできそうにない。あれだけの能力も勇気も、僕はまったく持ち合わせていない。
 もっとも、そうやって高木さんと自分を引き比べ絶望してみてもしかたがないのかもしれません。高木さんは、いわば世界的なトップランナーなのですから。ただ、僕は自分自身も高木さんと同じ種目のプレーヤーであるという意識を持っています。だれもがオリンピックのメダリストになれるわけではないが、かといってそれで努力をやめるわけではない。なぜ高木さんはあのように生きることができたのか、なぜ自分はあのように生きることができないでいるのか、これからも僕は問い続けたいと思います。