Ramakrishna Mission

 広い中庭の回りを、二階建てか三階建ての建物が取り囲んでいた。もう暗くなっていたので離れた建物の様子はよく見えなかったが、明るければ小学校のグランドと校舎のように見えたかもしれない。中庭には、何かの催し物が行われようとしているかのように、たくさんの人々が行き来していた。
 Podderはまず図書室に僕らを案内した。
「この図書室にはだれでも来ることができる。ここに来れば、無料で本や新聞を読むことができる」
小さな町の公民館にある図書室のようだった。数十個ある机のほとんどには人が座って静かに本か新聞を読んでいた。
 中庭を挟んで図書館の向かい側にある建物は学校だった。貧しい子供たちが、無料でこのミッション内に住み、無料で教育を受けている。「すべては人々の寄付で運営されている」とPodderは強調した。
 次にPodderは僕らを中庭の奥に建つ平屋の建物の中に導いた。彼の家族と僕らはみな、待合い室のような感じの部屋に入り、空いているソファーに腰を下ろした。部屋には他にも十名ぐらいの人がいて、多くは食事をしているようだった。僕らの前にもすぐに小さな皿に載ったカレーチャーハン(のようなもの)と水が運ばれてきた。おそらく、誰もがここに来れば簡単な食事を与えてもらうことができるのだろう。僕らはPodderに勧められるまま、出された食事をいただいた。
 誰に対しても開かれている、とPodderにいくら言われても、正直なところこのような場所では居心地の悪さをどうしても感じてしまう。バングラデシュでは外国人は珍しいため、どこに行っても注目される。ミッション内でももちろん注目されるのだが、僕らはヒンズーの信仰を持っていない。そのことを、注目する視線は見抜いているだろうし、もしかしたら非難しているかもしれない。
 食事の後、僕らはヒンズー教の僧侶が座る部屋に案内された。眼鏡をかけた大柄で年輩の僧侶だった。Podderは僕らを日本人であり仏教徒であると紹介し、僧侶はにこやかに歓迎の言葉をかけてくれた。いや無宗教です、と僕はそこで正直にはっきり言うべきだったろうか? たぶん言わなくても良かったのだろうと思う。
 それから十分ほどの間、出された紅茶を飲みながら、僕らは僧侶の説教を聞くことになる。その内容を要約するのはむずかしい。言葉が部分的によく聞き取れなかったせいもあるが、それ以上に、次々とたたみかけるように話す調子が、要約を難しくする。それでもあえて一番強調されたと思えることをあげるなら、少しでも良いことをしようと思うことこそが獣とは違う人間の特徴だ、ということになるだろうか。途中でShyamaliさんが入ってきて、僧侶の前に跪き、頭を深くたれて僧侶の足の甲に手を触れた。
 構内では新しく建物が一つ建てられようとしていた。いままでの礼拝所が小さいため、大きく建て直すのだと言う。彼も定期的ではないが、ときどきこのミッションに来て祈る。Podderによれば、ダッカ市内でヒンズー教徒が安心して祈りができる場所はこの場所以外にほとんどない。ここでさえも、回りをイスラム教徒が取り囲み威嚇するようなことがある。
 翌日、自分は実は無宗教なのだがあのミッションの社会的活動には心を打たれる、というようなことを僕は彼に言った。彼はうなずきながら「ただし祈りもいいものだ、心の平静が得られる」と言った。
(最後の日、空港に向かう途中で余ったバングラデシュの通貨を、ミッションに寄付して欲しいと彼にあずけた。少額紙幣がほとんどだったので、ささやかな寄付にしかならなかったが)