イスラムとヒンズー 独立戦争

 バングラデシュ人口の九割がイスラム教、残りがヒンズー教で、ヒンズーの割合は過去には4割程度だったが年々減り続け今もなお減っているのだという。Podderはヒンズーである。彼によれば、色々な場面でヒンズーに対する差別、冷遇が行われているという。彼の大学Bangladesh Univ. Eng. Technol.(BUET)ではまだ公平だということだが、他の大学では学生の入試や職員の採用の際にイスラム教徒が優遇されるのだという。たとえば大学入試では、かってペーパー試験だけで行われていたのが面接も実施されるようになり、宗教によってその評価点に差がつけられるということがあるそうだ。また、Podderには幼稚園(?)にかよう息子がいるが、彼もヒンズーであるという理由でそこでいじめを受けているという。
 毎年多くのヒンズー教徒はインドに移り住み、あるいはカナダなど欧米に移住している。またイスラムに改宗するケースもあるという。Podderの兄弟にもカナダに移り住んだ家族がある。
 Podderによれば、2001年の秋に選挙が行われて政権が変わり、それまで以上に宗教色の強い政党が与党になった。その政党(BNP)は、宗教色が強いだけでなく親パキスタンであるらしい。だがこれは、バングラデシュの歴史を考えれば何とも皮肉な結果だ。
 バングラデシュは1971年、パキスタンから独立した。僕はこのとき小学校高学年、パキスタンという国が二つに分かれて存在していることを奇妙に感じた記憶はあるし、その片方がバングラデシュという国になったというニュースに接した記憶もかすかにある。ただ知らなかったのは、その独立戦争で三百万人もの人が犠牲になったということだ。
 Podderは僕らを独立戦争博物館Liberation War Museumに案内してくれた。そこで見た写真はショッキングなものだった。Podderのおじいさんもパキスタン軍に殺されている。ヒンズーというだけで当然のように殺されたのだ。約9カ月続いた戦争の間、Podderは難民となってインドに暮らしていたという。Podderの家は、家財道具ひとつ残らず略奪された。祖父を殺したのはパキスタン軍だが略奪したのはバングラデシュの人々だった、とPodderは言った。
 パキスタンもバングラデシュも、つまり当時の西パキスタンも東パキスタンも、もともとイスラム教徒の多い地域であり、そのためインドと分かれてパキスタンという国になった。しかし首都は西のイスラマバードにおかれ、西は東を植民地のように扱った。選挙をして東を代表する政党が優勢になっても、軍を中心とした政府は東を冷遇し続けた。よい例がウルドゥ語の強制である。東にはBangali(ベンガル語)があるにも係わらず、西の言葉のみを国語にしようとした。
 独立のため戦ったバングラデシュ軍は実際はゲリラに近いものだったようだ。彼らはインドの支援を受け、最後にはインド軍が侵攻してパキスタン軍は降伏する。しかしそれまでの犠牲は大きかった。女性は片端からレイプされた。民族の割合を変えるためパキスタン軍が意図的にやったと言われている。降伏の直前に、パキスタン軍は知識人を大量に虐殺した。殺された知識人たちの記念碑が大学の近くにある。Podderは、僕らがダッカに着いたその日の夜に、その記念碑の前でこうした独立戦争の話をしてくれた。
 独立の後も国の歩みはまったく順調ではなかった。独立戦争を指導したムジブル・ラーマン大統領が1975年に軍事クーデターで殺される。バングラデシュの人々はムジブル・ラーマンのことをBangabandhu(ベンガルの友)と呼ぶ。彼は自宅で殺されたのだが、自宅がいまは博物館になっていて殺害現場も見ることができる。クーデター後まもなく民政には戻ったものの、Podderはそれをまともな民主主義とは考えていない。1996年まで、もう一人のラーマン、ジアウル・ラーマンに始まるBNP(Bangladesh Nationalist Party)が与党であり続け、その後Bangabandhuの作ったAL(Awami League)が政権につくが、2001年にまた交代する。
 あれだけパキスタン軍に多くの人々が虐殺されたにも係わらず、なぜ親パキスタンの政権ができるのだろう、と僕はPodderにたずねた。それはこの国では多くの人が何より宗教が大事だと思っているからだ、と彼は答えた。