日本人


 ダッカ近郊にあるムガール時代の遺跡の町Sonargaonはたくさんの人でにぎわっていた。僕らが行ったのが金曜日で、バングラデシュではこの曜日は休日なのだ。Podderの話ではおもにダッカから人がくるという。五百年前の建物を使った博物館の近くにはバスが何台もとまっていた。その博物館を見学していた時におもしろいことがあった。若い女性が一人、カメラを持って僕らに近づいてきてPodderに何事か話しかけた。なんでも、僕らの写真をとりたいのだという。もちろん僕らは喜んで彼女と一緒に彼女のカメラにおさまり、その後で僕らも彼女の写真を取らせてもらった。彼女は大学生とのこと。その後僕らの名前を書いてほしいといってきて、僕らは彼女の手帳にサインをした。まるでスターになったようだ、と僕の配偶者は言っていた。
 と、そんなことがあるぐらい、日本人はバングラデシュでは珍しい存在なのだ。日本人に限らず、明らかに外国人と分かる人を町で見かけることはまずない。(インド人はいるのだろうけど、みわけがつかない)Podderがお土産を買うために連れて行ってくれた、一ヶ月前にできたばかりというスーパーマーケットで中国系と思しき人を見かけたぐらいだろうか。
 大学(BUET)内では、何人もの人から日本語で話しかけられた。Podderの知り合いにも日本の滞在経験のある人が何人かいて、Podderは彼らを僕に紹介してくれた。それ以外にも僕が日本人と見て日本語で話しかけてきたBUETの教員がいた。ちゃんと日本語を覚えて帰るところがすばらしい。
 これから日本に来たいと思っている人は、バングラデシュには間違いなくたくさんいる。ある晩、政府機関で働いているという人から、ホテルの部屋に電話がかかってきた。いまからホテルのロビーで会いたいという。降りていって見ると、待っていたのは大学を卒業したての若者で、半年ほど前に政府の機関に就職したが、日本の大学院に入りたい、そのための奨学金を得る手助けをしてほしい、という話だった。外国人留学生のための奨学金を得るのは容易ではない、というか僕にとって不可能に近い。まして、彼は文系の学科に進みたがっていて、まったく僕にできることはない。彼にそのような事情を丁寧に説明してひきとってもらった。
 もう一人、日本の大学院に行きたいと僕に熱心に訴えた人がいた。彼はPodderのもとで修士課程を終え、今はあるカレッジの講師をしている。彼のカレッジはかなり離れたところにあるそうだが、このときは冬(?)休みでダッカ近郊の親戚の家に滞在し、日中は恩師であるPodderのもとを訪れていた。
 Podderは、自分が用事を済ませているあいだ、彼に僕らの世話を頼んだことがあった。僕らとしては自分たちだけで出歩きたかったのだが、「用事があれば何でも言ってください」とすぐそばに彼が控えているという、なんとも気詰まりな状況になった。ただ、結局このとき彼に大学近くの"New Market"の場所を教えてもらい、あとでみやげ物を買うのに大いに役立った。
 彼は、たぶん意識的ではないだろうが、次の話を僕に二度繰り返して聞かせた。自分は、博士課程に進学したいという手紙を、日本の大学に全部で六十通以上書いた。しかし誰一人として返事をくれなかった。最近になってオーストラリアに三通手紙を出したら、すぐに一通返事が来た。(それは進学をすぐに認める内容ではなかったようだが)
 彼は自分のことを非常に貧しい家庭の出だと言った。小学校から大学院まで、自分はまったく授業料を払わずに通った。これは自分が優秀だったからできたことだ。
 日本で留学生が奨学金を得ることは非常に困難なことであると、僕はすぐに説明したが、彼は日本で学位を取りたいという訴えを止めようとはしなかった。こちらにしゃべるきっかけを与えず、勢いよくたたみかけるようなしゃべり方だった。
 しかし彼は留学のことばかりをしゃべっていたわけではない。New Marketが、Dhakaの中では高級品を扱っている市場であり、ここで買い物ができるひとは1パーセントにも満たないことを教えてくれた。(後日Podderが連れていってくれたショッピングセンターはもっと高級だったが)
 New Marketの近くに小さな本屋さんが集まった市場のような場所があった。大学の教科書も、新品、古本ともたくさん扱われているようだった。彼はその中のひとつの店で、S.Hawkingの"A Brief Histry of Time"という本を手に取り、現代科学に関する最高の名著だといって絶賛した。僕はその本を自分で買おうとしたが、彼は僕に払わせなかった。この本を読むときは自分を思い出してほしい、と彼は言った。今僕の手元にあるその本の表紙裏には、彼の名前と"To Mr. Ichimura, I am grateful to you to love."というメッセージが書かれている。
 僕らがダッカで過ごした最後の晩に、彼もPodder家の夕食に招かれた。Hawkingの本を少しは読んだか、と聞くので、まだ読んでいない、日本に帰ったら読む、あの本を見ればあなたを思い出す、と僕は答えた。彼は、自分もこの頭がダメになってしまうまでけっしてあなたのことを忘れない、と僕に言った。彼は僕らよりひと足早く帰っていったが、その前に僕の手を握って、絶対に忘れないから、とくり返した。
 彼が僕に求めているのは、第一には留学の手助けをすることだとは思う。けれども、僕という人間を忘れない、自分という人間を忘れないでほしい、という彼の言葉も、そのまま真実だったと思う。