インドで犬に咬まれる:もう一つの話し


 チェンナイで僕が泊まったホテルは、インドでは三つ星ぐらいのいちおう高級な部類に入るホテルだ。とはいえ一泊3000円ちょっと、中味も先進国の三つ星とは違う。ボーイさんたちも、一見こざっぱりとした制服を着ているが、よく見るとあまり洗濯がされてないようであったり、ボタンがひとつ取れていたりする。
 犬に咬まれた晩、僕はまずホテルのボーイに犬に咬まれたことを話した。僕が彼に会って話しをしたのは、ホテルの玄関ロビーや廊下ではなく、僕が泊まっていた部屋の中でだった。その晩、彼は一枚の書類を手に、僕の部屋を訪ねてきたのだ。ちょうどそのとき僕は、ベッドに腰かけ、犬の歯によってついた傷口をながめ、これがどの程度深刻なトラブルなのか考え込んでいるところだった。そして、彼の「今日は一日どうでした」という問いに対し、「いい一日だったが、たった今犬に咬まれた」という答えをしたのだった。
 前回(その年の2月)にそのホテルに泊まったとき、彼は非常に親切にしてくれた。たとえばインド舞踊の学校をたずねようとしたとき、彼は自分でその場所の住所を調べ教えてくれただけでなく、リキシャをつかまえ、しつこく交渉してくれた。歳はまだ二十代半ばだろう。いつもまっすぐこちらの顔を見ながら、少し早口で熱のこもったしゃべり方をする。今回再び訪れたとき、僕はもちろん彼のことをよく覚えていたし、彼も僕のことを覚えていた。(もっとも、彼だけでなく他の従業員の方たちもお互いに顔を覚えていたのだが)
 前回は学生3人と配偶者がいっしょだったが、今回は僕一人だった。今回の訪問で彼と最初に顔を合わせた時、彼は「前は友達といっしょにきていたね、今回は?」とたずねた。僕は、前は学生と妻をつれてきたけれど今回は一人だ、というような答えをした。
 さてその晩、、僕が犬に咬まれたことを知ると、彼は「Oh My God」と言って両手を額に当てた。実はこの「Oh My God」は彼の口癖で頻繁に口にするのだが、この時は表情が真剣だった。すぐに部屋を出て、しばらくして戻ってきて「病院はまだ開いているから今すぐ行こう」と言った。玄関に降りたらフロントにはホテルの経営者がいた。ホテルで働いている人の中では最も体格がよく、そして唯一笑顔をこちらに見せない人物だ。僕を連れて降りてきたボーイから僕が犬に咬まれたことを知らされると、顔をしかめ、僕に向かって傷を見せるように言った。僕がズボンを捲って傷を見せると、今日はもう遅いし病院はもう閉っている、明日病院に行った方がいい、と言った。しかし僕は彼ら二人の表情を見て非常に不安な気分になっていたから、すぐに病院に行きたかった。そういう気持ちを持ってボーイの方を見ると、彼はそれを察したようで、経営者と何ごとか言葉をかわし、経営者は行きたければ行ってこいという仕種をした。
 こうして僕は彼につれられて病院に行った。あの経営者が翌日病院に行くように言ったのは心が冷たいからだ、というふうにその時僕は感じていた。それにひきかえ、彼は一刻も早く処置をした方がいいと、夜遅くに僕を連れ出してくれた。注射を打ってもらった後、彼は「これでもう大丈夫だ、手当てが一日おくれるとその一日が悪い結果を招くことがある」というようなことを言った。僕はその言葉を信じ、彼のおかげで自分の命が救われたのだと思った。
 いま考えると、翌朝になってからもう少しちゃんとした病院に行くのが正解だったようだ。その意味で、あの経営者の判断の方が正しかったのだろう。しかしもちろん、ボーイの彼も真剣に僕のことを心配し、僕によかれと思ってあのように行動したに違いない。
 病院からホテルに戻ると、彼は部屋の中まで僕について入ってきた。そしてベッドに腰を下ろし、僕にも腰を下ろすように促し、それからポケットから一枚の紙を取り出して僕に手渡した。それは、ある女性が"Sri Balaji Polytechnic"という学校の学生であり、学期あたり5000ルピー(約12,500円)の授業料を払わなければならない、ということを証明する書類だった。そして最後には"教育ローンを得るための証明書"と書かれていた。
 僕がその書類にざっと目を通し終わると、彼は次のような話しを始めた。自分には二人の妹がいて、上の妹は商業の学校に通い、下の妹はコンピューターの学校に通っている。いままで家族の暮らしは父親が支えてきたが、最近は体の調子が悪く、仕事が満足にできない。だから自分が家族の生活を支えなくてはいけない。収入は十分ではなく生活は苦しい。下の妹の授業料をいま払わないといけないのだが、そのお金がなくて困っている。なんとか助けてもらえないだろうか。
 普通なら、こんな話しを誰も相手にしないだろう。インドで泊まったホテルの従業員から、金銭的に援助してほしいと突然に言われたら、いかにその従業員がよく働いていたとしても、お金をわたす気になることはまずないだろう。赤の他人から身の上話しを聞かされても、それが真実かどうか確かめることはできない。在学証明書の類いだって、その気になれば簡単に偽造できる。もしかしたら彼は、こうやってくり返し多くの客からお金を巻き上げてきたのではないかと、疑うことだってできる。
 だが、その時僕は彼の頼みを即座に断る気にはなれなかった。なぜなら、彼は狂犬病の恐怖から僕を救ってくれたのだと、あの時僕は信じていたからだ。彼は単なるホテルの従業員ではない。命の恩人なのだ。彼がもし、援助を頼みに僕の部屋を訪れなかったら、僕は結局病院には行かずじまいになり、その結果命を落としていたかも知れない。そうであるなら、彼が金銭的援助を僕に求めていたおかげで、僕は命を救われたのだ。
 しかしその一方で、彼に対する疑いの気持ちも、もちろん消えはしなかった。命を救ってくれたにしても、それとこれとはやはり別の話なのではないか。それに、授業料を払うためというあたりができすぎている。彼は僕が大学の教員であることをこれまでの会話から知っていたから、こういう話しを用意してお金の無心にきたのではないのか。
 僕は、とてもすぐには決められない、というような答えをした。すると彼は、ぜひいちど自分たちの家を訪問してほしい、と言い出した。
「明日はここの仕事が休みなので、ぜひあなたを家に連れていって家族に紹介したい。空いている時間はないですか?」
「明日も昼間は仕事だし、夕方は、日本からきている友人と食事をすることになっているから・・」
「じゃあ朝はどうです? ここから自動車で一時間以上かかるけど、朝6時頃に出れば9時には戻ってくることができます。タクシー代は自分がもつからぜひ訪ねてほしい。」
「そんな朝早くに出たくはないなあ」
「じゃあ夜は何時頃帰ってきますか? 7時半? 8時? それからでも行って帰ってくることはできます」
こうしたやりとりをしばらく続け、最後には根負けして僕は翌日の夜、彼の家を訪ねることになった。
「僕はずるい人間ではない」
彼は会話の中でこの言葉をいくどか繰り返した。そして最後にもその言葉を口にし、僕の部屋から出ていった。

 翌日、僕は7時すぎにホテルに戻ってきた。日本人の友人と少し街を歩き、それから食事をしたのだが、その友人は前日お腹の調子を悪くしていて体調がよくなく、あまり長い間歩き回るわけにもいかず、また豪華な夕食をというわけにもいかなかった。それでけっこう早くにホテルに戻ってくることになった。前の晩、彼は「7時半ごろに電話をします、それでまだ帰っていなければ、少し待ってまた電話をして、8時半まで待って帰ってきていなければあきらめます」
と言っていた。だから僕はホテルで電話を待ったのだが、かかってこない。結局最初の電話がかかってきたのは8時半頃だった。僕は彼が指定した待ち合わせ場所、前日注射を打ってもらった病院の前、に行った。待ち合わせをそこにした理由を、休みの日にホテルには行けないから、と彼は説明していた。休みの日に他の従業員と顔を合わせたくないという気持ちもわからなくはないが、僕といっしょに出かけるところを見られたくないのだろうとも思った。
 待ち合わせ場所に彼は自転車に乗ってやってきた。ホテルボーイの姿しか今まで見たことがなかったが、このときは緑のポロシャツに黒いゆったりとしたスラックスという姿だった。オートリキシャをつかまえ、まず向かったのは彼の家族が住む家ではなく、彼が奥さんと住んでいるアパートだった。細い路地にある建物で、外から見ただけではそこがアパートなのかどうかわからない。彼の部屋は二階にあり、大きさは、日本の言い方をすれば四畳半一間に小さな台所といったところだろうか。もちろん床はコンクリートだが。
 そこで彼の奥さんに会った。小柄で、南インドにはめずらしく少しきつい感じの顔立ちの人だ。化粧品の販売の仕事をしているという。部屋には寺院の写真が飾ってあった。彼はそれを指差し、「その神を知っているか?」と僕にたずねた。知らないがヒンズーのどれかの神なんだろう、というような答えをすると、彼は「いや違う、イスラムだ」と答えた。確かに写真の寺院はイスラム的な形をしていた。インドといえばヒンズーだとつい思い込んでしまっていたのだ。彼らの宗教がインドでは少数派であるという事実、そしてその宗教が持っている文化や習慣が、自分がいまこのように連れ出されていることに関係があるのか、ないのか、少し僕は考えた。しかしもちろん答えはわからない。
 彼の家からオートリキシャに三人で乗り、彼の家族の家を目指した。彼がまん中に座り、わきに彼の奥さんと僕が座った。彼を挟んでいても、奥さんがつけている香水の香りが強くにおった。インドでこのようないわば西欧的な香水の香りに接することはめったにない。
 リキシャは市内を抜け、空港に向かう幹線道路を走り、空港を通り過ぎてさらに南下を続けた。空港まで30分ほど、それからさらに30分以上走り続けた。市内を抜けてからはほとんど信号もなく、リキシャはおそらく精一杯のスピードを出していたから、かなりの距離を走ったことになる。彼はくり返し
「本当は明るいうちにきてほしかった。そうすれば回りの景色が見えたし、家でゆっくりすることもできるのに」
というようなことを言った。また、彼の父親が病気であること、彼の妹たちが勉強熱心であることなどを僕に話した。彼の奥さんの方は一言もしゃべらなかった。
 幹線道路沿いには、間隔をおいて大小の部落がいくつも現れた。リキシャはそのような部落の一つに入っていった。道が細くなり、すぐに舗装もとぎれ大きな凹凸が続き、リキシャのスピードは極端に遅くなった。前後左右に揺れながら、いっそう狭い道に入り、登り道の傾斜がきつくなってきたところで、彼はリキシャを止めた。あたりは街灯もほとんどなく、回りの様子をよく見ることはできなかったが、小さな住宅が集まっている地域のようだった。
 その一つに彼は僕を招き入れた。屋根の低い平屋の建物で、屋根は植物の葉で作られている。背をかがめて入り口からはいるとそこは台所兼物置のようで、炊事用具がおいてあり、薪で煮炊きをしたらしいあとがあった。その奥がいわば居間で台所に比べるとかなり狭い。四畳半もないぐらいだろう。端には旧式の大きなテレビがおかれいた。
 彼は僕を彼の家族、母親と二人の妹、に紹介した。みな笑顔で僕を迎えてくれたが、三人とも最後まで口をきくことはなく、彼がもっぱらしゃべり続けていた。彼は古いパイプ椅子を立て、僕を座らせた。彼と彼の家族は立ったまま、僕に相対する格好になった。
「この家は僕らのものです。僕はこの部屋で生まれ、この家で育ちました。ほら、そこに僕が子供のころの写真があります」
彼が指さしたところを見ると、たしかに彼の子供のころと思われる写真が壁に貼ってあった。
 彼は僕に水をすすめたが、僕はことわった。本当はお茶を飲んでいって欲しいのだが時間がなくて残念だ、というようなことを繰り返し言った。そして彼は妹二人を促して、本を持ってこさせた。
「これが妹たちが学校で使っている本です」
姉の方が僕に差し出した商業関係の本は非常に古ぼけた本で、古本屋で買ったのではないかと思われた。一方妹の方がもってきた二冊の本は新しいきれいな本だった。僕はそのうちの一冊を手に取り中を見てみた。プログラミングの入門書で、たしかにコンピュータ関係の学校で教科書に使いそうな本だったが、その本は完全な新品で少しも使われたことがないようだった。
 僕がその家にいたのは長い時間ではない。もともと人の家を訪ねるには遅すぎる時間帯であったし、また僕自身もその家の中でリラックスする気分にはなれなかった。僕は彼らと記念の写真を何枚か撮り、待たせてあったリキシャにまた三人で乗った。
 来た道を戻り、リキシャがチェンナイ中心部の市街に入ろうとしたあたりで、ちょっとしたトラブルがあった。警察の検問でリキシャが止められたのだ。警察はリキシャ運転手の免許書をチェックしたのだが、僕らのリキシャの運転手はどうやら免許不携帯だった。運転席の付近を探し回り、見つからないとなると僕らをおろし客席の方も探し始めた。それでも見つからず、運転手は警察官に手を引かれて検問所にある小屋の中に姿を消した。
 その様子を見た彼は、僕らに「さあ歩こう」と言って道路わきを歩きだした。これはまずいことになった、こんな夜遅くに出かけたのが間違っていたんだ、といったようなことを独り言のように口にしながら、早足でどんどん歩いていった。そして
「僕はずるい人間ではない」
という言葉をいくどか繰り返した。彼はあきらかに狼狽しているようだった。
 しばらく歩いたところで彼は別のリキシャをつかまえ、チェンナイの街へもどった。つまり、彼の家族の家まで往復した分のリキシャの運賃を、僕らは払わずにすませてしまったわけだ。リキシャはメーターを動かしていなかったが(メーターを使うリキシャはめったにない)、信号のあまりない道で片道一時間以上もかかる距離だから、相当高額な運賃になるのは間違いない。
 新たに拾ったリキシャはまず彼のアパートに行き、そこで彼の奥さんが降り、それから彼と僕は出発地点である病院に戻った。このリキシャもメーターは使っていなかったので、彼と運転手がタミル語で運賃の交渉を始めた。
「夜遅いから多めに払えと言っている、50ルピーだそうだ」
彼は僕の方を向いてそう言った。50ルピーはたしかに高めだが、それほど暴利と言うわけでもない。おそらくメーターの1.5倍ぐらい、まあ地元の人でもあまり抵抗なく払う金額だろう。
 僕は彼に50ルピーを渡した。昨夜僕を誘ったとき、彼はリキシャ代は自分が持つからと言っていた。それでも、僕は最初からリキシャ代は自分で払うつもりでいた。その意味では、ここで50ルピーを払うのは少しもかまわない。それに本来なら数百ルピーになるところを、あのトラブルのおかげ(?)で50ルピーになってしまったわけであるし。ただ、昨夜の言葉をまったく忘れたかのように振る舞う彼の態度は、あまり愉快なものではなかった。
 それから僕は彼にお金を渡した。昨夜のうちに、僕は彼にある程度のお金を渡すことを決めていた。それほど狂犬病の恐怖から救ってくれたことに対する感謝の気持ちは大きかったのだ。ただ、金額は迷っていた。インドルピーの持ち合わせはあまりなかったし、日本円を渡しても両替がやっかいである恐れがあるから、渡すとしたら米ドルだった。手持ちの米ドルは90ドル。すべてを渡せば、あの"証明書"にある授業料をほとんど払うことができる。しかしせっかく用心のために持ってきた米ドルをすべて渡してしまいたくはない。そしてもちろん、最大の問題は、彼の言葉が信じられるかどうかだった。
 僕が彼に渡したのは20ドル札二枚、40ドルだった。渡したあと、もう二度とこのようなことはしない、もう二度とこのようなことはしないでくれ、と僕は彼に言った。彼は、少しうつろな感じの目で僕の言葉を聞き、ドル札を受け取り、それから簡単に礼を言った。そして
「僕はずるい人間ではない」
という言葉をまた口にした。
 ホテルの部屋に戻ったのは深夜十二時前後だったと思う。彼にお金を渡したのは正しいのか、それとも間違っているのか。自分は愚かなのか、それとも冷たすぎるのか。僕は今でもわからない。ただ、もし犬に咬まれなかったら、彼にお金を渡すことなど考えもしなかったことだけは間違いない。

 翌日の夜遅く、もうベッドの中に入ってから、彼から電話がかかってきた。これから部屋に行っていいかときくので、もうベッドの中に入っていると答えると、それなら翌朝にすると言って電話は切れた。しかし何となく気になって自分から玄関ホールに出てみた。彼は玄関の脇に立って本を読んでいた。
「昨日はありがとう。おかげで問題はすべて解決しました。ただそれを言いたかったのです」
と彼は言った。何の本を読んでいるのかたずねたら、自分たちの宗教の本だと彼は答えた。
 その翌日は彼の姿を見かけなかった。さらにその翌日の夜、深夜発の飛行機に乗るためホテルを発つ少し前に、彼から電話がかかってきた。
「本当は今日は仕事に行く日なのですが、父親が病気で行けなくなりました」
そう彼は言った。僕は、いったいその父親はどこで何をしているのだろうと思った。
「あなたには感謝してます。おかげで助かりました。次にここへ来たときは奥さんといっしょに私たちの家を訪ねて下さい」
「こちらこそ感謝してますよ。あなたは僕の命を救ってくれたのだから」
そのような短い会話のあと、僕と彼は別れの言葉を交わした。
 二ヶ月後、僕は再び仕事で同じ都市を訪ねることになっている。配偶者もいっしょに行く予定だ。僕らはまた同じホテルに泊まり、彼に再会するだろう。そこで彼とのあいだにどのような会話が交わされ、僕らがどのような経験をするかは、また別の話になる。


もどる